戦国城跡を歩く

・2008年5月2日


神福寺山門前の案内板に描かれた縄張図

鹿伏兎城



鹿伏兎(加太)城は南北朝時代の正平年間(1346〜69)に、鈴鹿川一帯を支配した関盛政の四男盛宗が築いた城で、はじめは牛谷城と呼ばれた。戦国時代、鹿伏兎定好が修築を加えて城郭を整備、子の定長は将軍足利義晴に白鷹を献上したことから、「白鷹城」とも呼ばれるようになった。城址はJR関西本線加太駅すぐにある、鹿伏兎氏の菩提寺神福寺の裏山頂上にある。






城址へは急峻な山道を歩くこと三十分、意外にこじんまりとした縄張りである。ひときわ高い本曲輪をはじめ、植林がされた城址を歩くと、土塁に囲まれた曲輪が続き、虎口に築かれた石垣は立派なものだ。また、いまも水が湧出する井戸跡が、かつてのこの城の堅固さをうかがわせる。迷いながら神福寺に戻り、鹿伏兎氏の墓石に手を合わせて鹿伏兎氏の城址をあとにした。