城のある町を訪ねる

・2008年6月14日


有子山城址から出石町を見る

出石城界隈

出石城は、但馬守護山名氏の最期の居城となった有子山城址の山麓に築かれた城跡である。羽柴秀吉に敗れた但馬山名氏が没落したのち、有子山城には前野長康、ついで小出吉政が封じられた。慶長九年(1604)、吉政の子吉英が山上で不便な有子山城を廃して現在地に出石城を築いた。元禄九年(1696)、小出氏が無嗣改易となったのち、松平氏を経て仙石氏が入部、明治維新を迎えた。明治の廃城令で出石城は堀、石垣を遺して取り壊されたが、隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、往時の姿の一端を取り戻している。



●出石のシンボル-太鼓櫓・出石城址を歩く(仙石氏の家紋「無文字」「永楽通宝」が各所に見られる)




●稲荷神社への参道/稲荷神社本殿・ツタンカーメン像のような地蔵さん・有子山城址の碑と山上城址の石垣



●本丸跡の白壁・仙石秀久を祀る感応殿・復興された隅櫓/立派な石垣・家老屋敷の白壁


出石神社

出石神社は、但馬国一之宮で別名伊豆志坐神社ともよばれ、式内社・名神大社である。天日槍命が新羅の国より持参した八種の神宝を出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)として、また、天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀している。天日槍命は「古事記」「日本書紀」に、新羅国王の王子で、弟に新羅国を譲り、一族を率いて日本に渡来されたという。その事蹟は記紀のほか、「播磨国風土記」「筑前国風土記」逸文等に記されている。出石神社の創立年代は明らかではないが、諸書によると貞観元年(859年)にはすでに山陰地方有数の大社であったことがうかがえる。