歴史を訪ねて

・2008年8月15日


銀山入り口の提灯

生野銀山

播磨と但馬の国境に位置する生野ぎんざんは、大同二年(807)に開坑されたといわれるからまことに古い鉱山だ。戦国時代、但馬守護山名氏の支配するところとなり、山名重臣で竹田城主の太田垣氏が管理した。やがて、山名氏の衰退とともに織田信長の領するところとなり、おおいに繁栄した。信長以後、豊臣氏、徳川氏が直轄領とし、奉行あるいは代官をおいて支配、経営を行った。明治維新を迎えると皇室御料に編入され、明治二十九年(1896)、三菱に払い下げられた。そして、昭和四十八年の閉山をもって、一千百年余の歴史に幕を閉じたのである。




資料館で基礎知識を仕入れて、鉱山見学コースへ。坑内の気温は年間を通じて13度、訪れた日は真夏の晴天日というのに肌寒い。坑内は要所要所に 的確な説明とマネキン人形による往時の様子再現で、まことに分かりやすい。ただ、マネキン人形の顔がいずれも外人風で、それがまた一興である。




マネキンによる発掘の様子再現は坑外にもおよび、遠くから見るといまも採掘がされているかに見える。銀山をあとに 生野駅方面に向かうと、かつて山名氏が築いた生野城址がある。城址は往時の縄張りが残っているというが、登城は次の 機会に譲って生野を後にした。【訪問:2008年8月15日】