歴史を訪ねて

・2008年8月16日


境内の一角から姫路市街を望む

広峰神社

主祭神はスサノオノミコトで、天平五年(733)、右大臣吉備真備によって創建されたという。播磨の守護神として崇敬を集め、古くは大鳥居が瀬戸内海に浮かんでいたと伝えられる。貞観年間、畿内に疫病が大流行して死人数知れずとなったとき、清和天皇は夢枕のお告げにより、広峰神社の御分霊を京都にお迎えして祈願されると疫病が鎮まった。都の人たちはおおいに喜んで盛大な祭を行ったのが祇園祭の始まりで、それによって建てられたのが八坂神社である。すなわち、広峰神社は京都の八坂神社(祇園社)の本社なのである。




神社は広峰山の頂上に鎮座し、かつては参拝に登るのにも大変な労力を要したが、現在は山上の大鳥居まで快適な自動車道が通じている。 広峰神社が黒田氏の出世に一役かったことは、司馬遼太郎氏の小説『播磨灘物語』に活写され、読まれた方も多いのではないか。播磨灘 物語に描かれた御師屋敷はK家が残るばかりで、いまは崩れかけた土塀、石垣が往時の姿を僅かにとどめている。




大鳥居から続く舗装された道は快適ではあるが、かつて御師屋敷が軒を並べたという旧参道の風情は捨てがたいものがある。また、 境内の展望台から望む姫路市街地から播磨平野、さらに遠く播磨灘から瀬戸内海の眺めも格別だ。