戦国山城を歩く
大和国─東山内を歩く

・2007年8月17日


都祁水分神社方面から見る貝那木山城址

福住の地を歩く





奈良県の北東部、笠置山地に位置する大和高原は東山内とよばれ、中世、多くの武家勢力が存在した。そのなかでも筒井一族の福住氏、多田を本拠とした多田氏らが有力国人として知られる。名阪国道福住インターチェンジを降りると、福住氏ゆかりの福住の地が広がる。福住氏が拠った城跡をはじめとして、福住宗職が神職をつとめた氷室神社が古式然とした姿で鎮座し、福住氏の菩提寺という西念寺には一族の墓石が残されている。まことに世俗を離れたのどかな福住の地だが、戦国時代には国中の戦乱に巻き込まれた物々しい歴史を有しているところだ。

多田氏の故地を訪ねて





東山内の有力国人の一人であった多田氏は、佐比山を本城とし都祁郷への拠点として貝那木山城を築き、その勢力はおおきく振るった。多田氏は、都祁水分神社の氏子として、また染田天神講千句連歌会を主催するなどして、東山内の国人衆と強い連帯を維持した。多田一族や東山内衆の菩提寺である多田の来迎寺には、室町時代の大小100基を数えるほどの五輪塔が林立し、往時の東山内衆の名残をとどめている。

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