戦国の城を歩く

・2008年01月27日


城址案内図の縄張り図

信長に叛旗を翻した─有岡城





有岡城はJR福知山線伊丹駅の目の前にあり、織田信長に謀反を起こした荒木村重が拠った城として有名である。そもそもは、鎌倉時代末期に伊丹氏が居館を構えたことに始まり伊丹城とも呼ばれる。中世を通じて伊丹氏が城主であったが、戦国時代末期、親興の代に伊丹氏は滅亡、そのあとに荒木村重が入った。有岡城は平城ながら、伊丹段丘の高低差を利用した南北1.6キロメートル・東西800メートルに及ぶ惣構えとよばれる造りで、岸の砦・上臈塚砦・鵯塚砦が配置された要害堅固な城であった。天正六年、信長に叛旗を翻した村重が没落したのち、池田之助が城主となった。しかし、同十一年に之助が美濃の国に転じたことで廃城となった。






現在、城址のほとんどが伊丹市街となっているが、本丸跡に石垣・土塁、北の砦であった猪名野神社に土塁、濠跡などが残り、僅かながら往時を偲ぶことができる。猪名野神社の神紋は織田信長と同じ「木瓜」であったが、信長とは関係はなく祭神である「スサノオノミコト」「牛頭天王」に関わるものである。いわゆる、京都の八坂神社など祇園さんと呼ばれる神社に共通の神紋であった。






有岡城の北方には行基上人が、天平三年(731)、農業用のため池として築いたという昆陽池がある。公園として整備され、冬にはカモや白鳥など渡り鳥の飛来する関西屈指の野鳥の楽園として知られている。また、酒造りの町としての歴史も有する伊丹には、「山は富士、酒は白雪」で知られる小西酒造をはじめ古くからの酒蔵も点在、歴史・自然・お酒を楽しめる町、それが伊丹といえそうだ。