戦国山城を歩く

・2007年5月3日



芥川山城







芥川山城は永正十二年(1515)頃、細川高国の重臣で北摂の土豪能勢頼則が、芥川城(高槻市殿町)から、摂津、丹波亀岡・京都を結ぶ交通の要衝で街道を望む三好山に新城を築いて居城としたことがはじめである。大永六年(1526)、細川高国は重臣香西元盛と細川尹賢の不和から、元盛を殺害するという失策をおかし、ライバル晴元ろの合戦に発展した。高国方についた芥川山城主能勢源五郎国頼は、晴元方に攻められ安威・茨木の諸城とともに降伏開城して芥川山城を去った。翌年、桂川の合戦に細川高国が敗れると、芥川山城は晴元の支配下に入った。その後、三好長慶が城主となり、長慶が三好氏の居城となった。永禄十一年(1568)、織田信長に攻略され、和田惟政が城主となった。しかし、惟政は入江氏が没落したのちに高槻城主となったことで廃城となった。