龍野の、お勉強してみーへん?




 もともとは、日下部といってたらしい。『播磨国風土記』に、角力の元祖野見宿弥が故郷の 出雲へ帰ろうとこの地まできたとき病死。墓をつくるために河原からリレー式に人が立て連 らなって石を運んだことから、旧名の日下部を改めて「立野」にしたと書いてあります。
 また 『峰相記』という本には、大龍を退治した故事にちなんで「龍野」となったと書いてある。 いずれにしても、町中を南北に流れる揖保川流域に原始の頃から人々住み続けていたことは 紛れもないこと。播磨の悪党、円心則村で有名な赤松氏が代々支配し、近世では脇坂氏5万 石の城下町だった。淡口東丸醤油と、そうめん揖保の糸が有名。どちらも関東にはないえー 味してまんねんでー。
それと、三木清、国木田独歩、三木露風、矢野寛治などを育んだまち でもありまんねん。彼らの碑が龍野公園を中心にありまっせ。
 そうそう、日下部といえばた
 しか丹波の豪族で、その子孫に、信長との姉川合戦で一敗地にまみれた越前福井の戦国大名 朝倉氏がいてまんなー。高校の同級生にも、くさかべ(草壁)ちゅうのんがいとったけど元気 にしてるやろか?名前といえば、龍野には「なむら」という苗字があんねんけど、漢字で書 くと南村、苗村、名村と3種類ありまんねん。それが3人ともに同級生にいてましてん。彼ら も元気やろか?「福」がつく苗字も多い。これも同級生に福山、福井、福岡、福本、福島、 福田、福元、福原と8人もいよりましてん。苗字でその町をみるちゅうのんも面白いんとち ゃいまっしゃろか。
 龍野で気になる苗字といえば、島津というんがおます。これは、あの薩 摩の島津氏と同族やといいます。それと永富ちゅうのん、この姓は伊賀の出身とかで、能の 世阿弥や千早赤坂城で北条軍と戦った楠正成と同族らしいでっせ。この永富さん、永富家住 宅ということで市の文化財に指定されてます。なかなかドッシリした、えー造りの家です。 そうそうその一族で鹿島建設に養子に行かはった守之助さんも有名ですよ。
 歴史、文学、食 べ物、人、建物、風俗等などいろんな角度から観光するとほんまに新しい発見がありまんな。


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